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明確な恋、どうしたらいい?

平凡な大学生(ジャニヲタ)がつぶやく独り言。

嵐が好きだった時の話


私のジャニヲタ始まりは嵐です。小学3,4年生ぐらいの時に嵐の存在を知り、5年生になると嵐の沼にどっぷりはまっていました(二宮担)。

小学高学年~中学3年まで嵐が好きでした。まさに思春期真っ只中を嵐と共に過ごしました。

当時は水泳、そろばん、塾、ピアノと習い事をたくさんしていて、中学校に入ると3年間吹奏楽部に所属し、多忙な日々を過ごしていました。今より多忙な日々だったと思います(笑)とても忙しくて遊ぶ暇もない私を癒してくれたのは、嵐でした。嵐の曲を毎日聴きまくり、当時深夜に放送されていた嵐の宿題くんを繰り返しみては笑い、『よし、明日も頑張ろう』と、習い事もキツイ部活も乗り切ってきました。先日、山田担と話をしていた時に嵐が好きだった当時の私の、『嵐が好きすぎるか故の奇行』を色々思い出したので、それををここに書き綴ろうと思います。


小学校5年生ぐらいの時、私が熱狂的嵐ファンだということは、学校のクラス全体が知っていました。隣の席の男子にメンバーの名前と誕生日を覚えさせていました。先生が授業中、黒板に黄色のチョークを使うと『あ、ほらあれニノやで!ニノ!』と騒ぎ、今思うと病的なヲタクだったと思います。当時はお小遣いをもらっていてもCD,DVDなんて高価なものは買えなかったので、誕生日プレゼントや習い事で結果を出した時のご褒美として、買ってもらっていました。おばあちゃんに会うと必ず『これで勉強しなさい』って言ってくれる1000円分の図書カードは、次の日にはドル誌になっていました。ウォークマンを持っていない時代には、イヤフォンを刺したクソでかいラジカセを枕元に置いて聴いていました。そんな私を哀れに思った父が、ウォークマンを買ってくれた時は、『これで外でも嵐が聴けるーーー!!』って、すごく喜んだことを思い出します。でもFCに入ることを親に許してもらえず、コンサートは行けませんでした。もちろんTwitterはなかったのですが、今はもう閉鎖されたブログサイトで、嵐ファンの友人を作り、どれだけ多忙でも毎日パソコンの前にかじりつきジャニヲタを楽しんでいました。携帯は中学2年生まで持っていなかったので、嵐の情報もそのブログサイトから仕入れていました。嵐のことで、学校でクラスの女子とお互いの保護者を呼び出すほどの喧嘩もしました。懐かしいなあ。

中学生になると、『定期試験で点数がよかったら嵐のもので欲しいものを買ってあげる』というこの親の言葉をバネに、中学の成績はめちゃくちゃ良かったです。自慢になりますが2年間学年3位以内でした(笑)嵐のグッズを手に入れるために頑張ったおかげで、勉強のコツを掴むことができ高校生になっても中々の成績をおさめました。ただ本当に中学の時は勉強よりも部活がキツくて、受験より部活のしんどさの方が勝っていました。精神的にも体力的にもキツかった私を支えてくれたのが、嵐の『ファイトソング』でした。嵐が作詞をして、ニノが作曲をしたというだけでそれはもう特別な曲なのに、歌詞が本当に素敵な言葉だらけで。前向きになれる曲で、辛いときは必ずこの曲を聴いて悩みなんてものは吹き飛ばしていました。


今ではすっかりJUMP!有岡くん!ですが、あの一番大変だった時期を乗り切れたのは、嵐のおかげたし、ジャニヲタの楽しさを教えてくれたのも嵐の影響でした。今は当時のような熱はないけれど、嵐はもちろん好きだし今の私にとって嵐とJUMPの共演はすっごく嬉しいです(*^ω^*)これからもっと嵐とJUMPの共演がたくさんあればいいなあ